ヒメゴト

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放課後のエゴイスト達

 卒業式前日の駅長室には私と矢島の二人しかいなかった。今はそれほどでもないが、もう少しすると異常に日当たりのよくなるこの部屋は、魔窟、だとか、オ タクの秘密結社、だとか、そんな風に言われているが、結局のところ、他の部室と大した変わりはない。ゲームをしてみたり、お昼を食べたり、無駄話を最終下 校時刻までしてみたり、日当たりのよさにかまけて昼寝をして授業をさぼってみたり、時々まじめに活動してみたり。まぁ、確かに趣味が野球とか、サッカーと か楽器とか、そういう一般的なものでない人間ばかりが集まってはいるが、なんだかんだ私の三年間が詰まった部屋だ。明日でここの住人ではなくなることを考 えると、少し感傷深くなる。そんな部屋で、私達は明日の卒業式の前に販売する冊子の製本をしている。許可なんて取っていないゲリラ販売だ。実は卒業生がこ の冊子を作るのは毎年の恒例ってやつで、今年は私が副編集長で、矢島が編集長だった。
「つかさ、榎本。古野とかはどしたの、てか俺とお前以外にもいただろ、これ作ってるやつ」
 矢島がホッチキスをベチコン、ベチコンと鳴らしながら私に問いかける。
「いーちゃんは卒業式前日はカラオケいって、友達の家泊まるって。要は俺は成し遂げてやるぜ、とか叫んでどっか行った。あと二、三人は知らんよ。連絡来てないし」
「あいつら明日絶対盛り上がらない方の校門で販売させるわ……」
 そう呟いて、矢島は更にベチコン、ベチコン、と冊子を綴じていく。しかしすぐに疲れたのか、きゅーけーきゅーけー、と手近な椅子に腰を掛けた。矢島は胸元からさけるチーズを取り出して、半分にして私に差し出した。
「いや、さすがにそれはいらない」
 はっきりと拒絶すると、美味しいのにー、などとつぶやきつつ矢島はまたそれをさきはじめ、口へと運ぶ。美味しいのは知っている。問題は衛生面だ。確かに 矢島はいつでもお菓子を持っていて、ことあるごとに周囲へ配っていた。私もその恩恵にあずかることも多かったが、流石に乳製品はないだろう、乳製品は。私 に渡すつもりだったらしい半分をもさもさと食べると、矢島はもう一度口を開いた。
「しっかし、明日でもう卒業だろ? 早いよなー、三年間」
「まぁね。この部屋に簡単に入れることがなくなるなんて、寂しくなるかな」
「うん、よくわかるわ。なんつーか、何も言えないけど」
 ね、と頷いて、私も少し疲れたので手近な椅子に座ることにした。別に座っていても出来たのだが、立って作業をしていた方が効率がよかったのだ。でも、よ くよく考えたら、特に効率がいい必要などないのだ。左前に座っている矢島はまださけるチーズを頬張っている。こいつはいつもなにかしら食べているわりに、 それほど太っていないので、女子にはいつもうらやまれている。
「ていうか、さ。ほんと、俺ってこの三年間で何やってたんだろうな。何も残ってない気がするわ」
「いや、あんたわりと結構色々やってたじゃん。部活とか。結構いいとこまで行ってたでしょ」
「あれは皆のおかげだし。俺個人でなにやってたのかな、と思って。家でゲームしかしてないよ、部活以外は」
「そしたらね、あとはあんたは、藤宮のことくらいでしょ、あんだけベタベタだったくせに」
「あー、あいつの話はすんなって! はい、作業、作業!」
 いきなり矢島が立ち上がり、先ほどの倍ぐらいのスピードでホチキスを鳴かせる。切なくなるだろうが、とぼそっと呟いたのを私は聞き逃さなかった。たとえ その声が聞き取れなくても、何を言ったかわかっていただろう。彼の表情は藤宮のことを脳裏に浮かべ、行き場のない感情を押し込めている顔だ。この男は本当 にわかりやすい。そこがいいところでもあるし弱点でもある。面白いからもう少しイジメてやろう。そう思って、矢島の後ろの窓から見える人影に声を出さず に、小さく手だけを振る。彼女たちは私に気づいたようで、ほんの少しだけ方向転換して、矢島の後ろの窓をあけ、私に声をかけた。
「なにやってんの、かおりさん?」「なにしてんの」「おひさー」
 女子三人の声が折り重なって、私の耳に届く。美術部の、加山と小渕、それと先ほど話にだした藤宮だった。矢島は小さく体を震わせると、私の方をちらりと 見た。その顔には馬鹿野郎、と言った表情を浮かべていたが、そもそも私は女だし、バカでもないと思い、そのまま会話を続ける。
「やぁやぁ、お三方。私達は秘密の冊子の作成中。君たちはなんの用事だったのだい」
「うちらは先生に挨拶してたんよ、明日はクラスで色々あるし。相変わらず、絵の具くさかった」
「まぁ仕方ないって、そういう部屋なんだし」
 私と三人合わせて四人で無駄話に花を咲かせる。私の視界の中には会話に勤しみ、隣にいる人物と私に視線を移すのが二人。後ろの三人に背中を向け、イライ ラとしたような、泣き出しでもしそうな顔でホチキスするのが一人。会話には生返事で、そのホチキスどめをしている背中に話しかけようとしているのが一人。 これが、青春かー、青い、青すぎるよ。心のなかでそうつぶやきつつ、そのまま四人で会話をしていると、ホチキスの音が止まった。矢島のホチキス止めの作業 も、とめる冊子がないとどうしようもない。
「謡もなんか久し振りだね」
 藤宮がそのタイミングを見計らい、矢島に声をかけた。
「んー、そうだな」
 彼は、そちらの方を見向きもせずに気のない返事をすると、またさけるチーズを取り出して、食べ始める。藤宮はうん、そうだよ、とか細い声で返すと、その 後矢島に話しかけることはしなかった。彼女たちは十分か十五分か、まぁそれくらいで私との会話を打ち切り、カラオケに行くと言って、正面玄関の方へと向 かっていった。その中の一人は、ほんの少し後ろ髪を引かれるような表情をしていた。あんたさ、と矢島に話しかけると異様に機嫌が悪そうな返事がしてくる。
「藤宮のこと、まだ好きなんでしょう? なのに、なんだあの態度は。こう、なんとかならんもんか、と優しくするのが正解じゃないの、普通」
「……別にいいだろ。大体、お前こそわざわざあそこであいつらを呼び止めることないだろ。俺とあいつがいることわかってんだろうが。不愉快だ、不愉快」
「気を利かせたっていうのに」
 余計なお世話。そう矢島がつぶやくとそれきり彼は冊子を作ることに集中して、何も返事をしなくなった。お互いに話しかけずに、黙々と作業を続ける。少し 暑いな、と思ったところで正面を見ると、太陽の光が反射して、部屋にたっているほこりがよく見えた。汚い。矢島はとくに気にしていないようで、ひたすらに ホチキスで綴じていた。あと五冊くらいでその作業も終わる。私はもう一度矢島に話しかけることにした。
「あのさ、矢島、結局なんであんた藤宮にあんな態度とったのよ。もう少しなんかあるんじゃないの?」
「まーたその話か。いいだろ、俺の勝手」
「にしたって、あれはないでしょ。久しぶりに会った親戚のおばさんみたいな態度じゃない。仮にも一度深い関係になったんだから、もう少し仲良くしてもいいんじゃないの?」
 と、問い詰める。矢島はかー、わかんねーかなぁ、と小さく呟いて頭を掻いてゆっくりと話し始めた。
「んー、まぁ、正直言えばよ? 話したいし、仲良くしたいとは、思うんだけど。でも、俺あいつのことまだ好きだから、話すとまた付き合いたくなっちゃうか らさ。だから話しちゃダメなんだよ。好きになって、傷つくのは俺だし、向こうにも迷惑かけるじゃん。だから、あーいうふうにするしかないってわけ。わか る?」
「わからん」
 即答した。
「好きなもんは好きなんだから、それを我慢しよう、なんて方がおかしいのよ。それを我慢してるほうがよっぽどあんたに毒じゃない。どーしてそんなことするの」
 どーして、かぁ。矢島はあまり今まで深く考えてなかったのか、机に頬杖をついて目を瞑った。これはこのまま寝てしまうのではとも思ったが、ぶつぶつとひ とりごとを呟いているので、どうやらそれはないようだ。喫茶店のコーヒーをゆうに飲みきってしまいそうな時間を使ってから矢島はもう一度口を開く。
「正直、あんまわからん。自分を傷つけないための逃げ、って言えば間違いでないし。彼女に迷惑をかけないためって言えばそのとおりだし。今更、何を話せば いいのかわからないっていう戸惑いもある。あとは、向こうから振ってきたのに、何故こっちがまた話しかけなきゃいけないのか、っていう悔しさもないわけで はない。一年間経過しているのにまだ好きなのがバカバカしいっていうのも嘘じゃないし。あとはまぁ、なんつーか、意地。ずっと話してこなかったのに、もう 自分からは歩み寄れないっていう意地。なんにせよさ、一言では言い表せないのよ。今俺が持っている感情なんて。榎本に話したことで少しは整理できたのかも しれないよ、確かに。でも、この気持ちは複雑怪奇の魑魅魍魎ってな具合で、なにが何%で何はごくわずかで、なんて完全に理解するのは少なくとも今は間違い なく、無理。だから、俺が成長するか、俺がこの気持ちを忘れてしまうまでは、俺は彼女のことがどうしようもなく好きで、歩み寄れない。見ていたくない。会 話もしたくない。顔を見たくない。後悔はしてるよ。まだ大好きだから。でも、こうするしかできんのよ、俺は」
「それが彼女を傷つけているとしても?」
「それはない。あったとしても、それは同情とか憐憫の情に流されているだけで、五分後には忘れているに決まってる」
 そこまで言うと矢島は息をつき、柄にもなくしゃべりすぎたなぁ、俺。と呟いた。学年一うるさい男が何を言ってやがる、と返すと、彼はこうつぶやく。
「みんな、俺のことわかってないんだよなぁ、俺のこと」
 わかってくれたのはあいつくらいだよ。矢島は小さくそう続けた。
 日当たりのよいこの部屋の中で私がこの話について考えたことは、結局のところ矢島も、藤宮も、そして私もみんな自分勝手なのだということだ。私は矢島の それなりに繊細らしい感情をおせっかいで傷つけてしまった。矢島は矢島で藤宮の感情を勝手に決めつけて、自分の納得行くように無理やり物語を作っている。 藤宮は話をきいたわけではないけれど、多分自分が嫌われるのが嫌なだけなのだろう。矢島のことを好きなわけでもないのに。あぁ、これも自分勝手な決めつけ だ。
 まぁ、いい。いいのだ。いずれにせよ、この部屋と明日でお別れするように、きっと矢島もその感情とお別れすることがあるのだろう。ただ、今はそれに十分 な時間が経っていない、そして、忘れさせうるに足りる人がいないだけだ。だから、自分勝手なことをしてしまった償いとして、矢島に少しだけ優しくしてあげ よう。そして、感情が風化し、過去のものとなるのを、少しだけ手伝ってあげよう。
「ラーメン、食べに行きたい。一人じゃ正直いきづらい」
 矢島は私をきょとんとした顔で見たかと思うと、すぐに破顔し、塩ラーメンがいいな俺、と言って帰り支度を始めた。私もそれに合わせて上着を羽織り、鞄を 持った。矢島は先に準備を終え、私の横を通り過ぎるときに頭を二度優しく叩いた。なにか呟いたようだったけれど、それは聞こえなかったことにしておく。う うん、これは嘘。私も自分勝手だからこれくらいは秘密にしておいていい。そう思っただけだ。
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