ヒメゴト

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せんぱいとわたし

 先輩は子供だ。二つ年上のはずなのに、弟と接しているような気もする。甘えん坊なところもあるせいなのかもしれない。会うとすぐに彩さん、と私の名前を 呼んで抱きついてこようとする。それを拒否すると、少し拗ねたような顔をして、じゃあ手を繋ぐ、といって私の右手を取る。本当は、人前で手をつなぐのも恥 ずかしいんだけど、これ以上先輩を拗ねさせるのも嫌で、つい、いいよ、と言ってしまう。それと、ハグを拒否して、手だけでも、と言ってくる先輩の表情が可 愛いのも、ちょっとだけ。
 先輩は頭がいいくせに馬鹿だ。学校の勉強とか、模試とかだといつもいい成績を取るくせに、肝心なところで抜けていることが多い。生活能力の欠如、と言う のかな。どこかに忘れ物をするなんて日常茶飯事だし、この間は携帯を充電し忘れた、とか言って一週間連絡が取れなかった。流石にまずい、と思ったのかその 後かわいいネックレスと、美味しいパフェを奢ってくれたけど。それと、あたしが放っておくと小説を読むことしかしない。完全に没交渉になって、食事もとら ないらしい。だからあたしは休日には、ちゃんとご飯食べてくださいね、と朝にメールをしておく。そうすると、わかった、彩さんが言うならちゃんと食べる、 と返事が来て、朝・昼・晩のご飯の写真が送られてくる。何もそこまではしなくていいんだけど、と思うと同時に、ちゃんと私の言うことなら聞くんだなぁ、と うれしくなる。こういうふうに面倒見てあげなくちゃ、と感じるのも子供だなぁ、と思う理由なのかもしれない。
 先輩は、その、なんというか、ちょっとえっちだ。そして、ずるい。あたしは毎回あんまりその気はないんだけど、二人きりになるといつもそういう感じ、に なってしまう。キスをされると、途端に頭がぼうっとして、目の前にいる先輩の事以外何も考えられなくなる。そうすると、もっともっと先輩が欲しくなって、 首とか、胸とか、体のたくさんを触って欲しくなる。先輩も私のそういうところがわかっているから、まずはキスをしてくる。沢山たくさんキスをしてからそう やって、ちょっとえっちな事をしてくる。その、最後まで、っていうのはまだなんだか怖いし、そういうところにも行ったことがないからしてはいないんだけ ど。このまま先輩と一緒にいたら、もうそうしたくて堪らなくなってしまうかと思うと少し怖い。でも同時に少し期待するような気持ちもある。乙女心は複雑な のだ。
 これから会う先輩のことを考えていると、待ち合わせの駅に電車がついていた。と言っても、学校の最寄りの駅の隣なので三分もかからないのだけれど。ホー ムに降りて、階段を上って、お手洗いへと向かう。鏡の前にいって、鞄の中からネックレスを取り出して、身につけた。別に学校で装飾品の類が完全に禁止、と いうわけでもないのだけれど、急に学校にそういうものをつけていったら友達に驚かれるかな、と思って先輩と会うときにだけ付けるようにしている。
 きちんとトップの部分が前にくることを確認して、外へと出た。沢山の自動改札機がある左側を抜けて、歩いて行く。近くにはよくわからない記号がついてい るビルやパルコがあって人通りが結構多い。ちらっと改札前をみたところ、まだ先輩は来ていないようだった。少し肌寒いので、来るまで本屋にでも行こうか な、と思って先輩にメールしておく。『本屋にいますね』とメールするとすぐに返事がきた。『すぐ後ろにいるから、振り返って』。言われたとおりに振り向く と、先輩は本当に手の届くくらいの距離にいて、いきなり抱きしめられた。
「ちょっと、先輩、恥ずかしい……まだ昼間……」
 いつもよりも強い先輩の抱擁に少し戸惑いつつもなんとか引き剥がそうとする。でも、先輩は何度も、いいから、もう少しだけ充電させて、と繰り返し、抵抗 を物ともせずに私のことを拘束し続ける。流石に他人の視線が気になってきた私は一言「離さないと、今日はもう帰りますよ?」とちょっと語気を強めて言う と、先輩はビクッ、と震えてゆっくりと私から離れていく。もう既に明らかに様子のおかしい先輩に向けて改めて、聞いた。
「どうしたんですか、突然。何かあったんですか」
 そう言うと先輩は少し泣きそうな顔で、ここでは言えない、と言って急に私の手を引いて歩き出した。先輩は先ほど出てきた改札にもう一度入ろうとするので 私は慌ててポケットから定期を取り出してタッチする。今日の先輩は明らかに様子がおかしい。普段はもっと優しいし、私が嫌がったら必ず一旦止まってくれ て、私の話を聞いてくれる。そんな先輩が今日は私を無理やり引っ張っているのだ。余程の事なのだろうか。さっきの泣き顔もいつも私に見せるような少し拗ね たような顔じゃなくて、本当に悲しそうな表情だった。今まで私に見せたことのないような、とても複雑な。
 そのまま先輩は私を引っ張ってホームへと降りていく。私がさっきここに来るために降りたホームだった。ねぇ、先輩、と声をかけてもごめん、と繰り返すだ けで心ここにあらず、な感じだ。それでも今日は帰ると言うと、ほんの少しだけ私の言うことを聞いてくれたことを思い出して、もう一度先輩に声をかける。
「先輩、別にどこに行こうと構わないし、何があったかもちゃんと聞くから。だからこれからどこに行くかちゃんと教えてください。そうしないと、もう手を繋ぎませんよ?」
 そうやってゆっくりと先輩に言うと、ようやく、先輩の脳みそに私の言葉が届いたらしく、普段ではありえないような速度で私の方に視線を向けた。その顔は やっぱり今まで私に見せたことのないような表情で。何かが辛くて、泣き出したくて、逃げ出したくて仕方ないといった表情だった。
「ごめん、ほんとに、ごめん彩さん。とりあえず、あとで全部話すから、今はついてきてくれないかな?」
「別にそれはいいですけど、ちゃんとこれからどこに行くか説明してください、そうじゃなきゃ、それは嫌です」
「わかった。突然で申し訳ないけど、俺の家まで来てください。ちゃんと電車賃は出すから」
 問題は電車賃じゃない。



 先輩の部屋は本棚と机以外には物が散乱していて、いかにも男の子の部屋だった。その部屋の隅に置かれたベッドで私は先輩がかいたあぐらの中にすっぽりと 収まっている。お互いに抱きしめあって、先輩は私の胸元に頭を押し付けている。私は両手を遊ばせているのも微妙な感じで、先輩の頭をずっと撫でていた。少 し硬くて天パ気味の先輩の髪の毛は最初は指にひっかかっていたけど、手櫛のように撫で続けているうちにいつのまにか引っかからなくなっていた。
 先輩の家は待ち合わせの駅から二十分もしないところが最寄り駅で、駅からはそんなに時間がかからなかった。家に上げると先輩のお母さんが満面の笑みで私を出迎えてくれた。
「あらあら、謡が人を連れてくるって言うから誰かと思ったら、可愛らしい女の子じゃない! いつもお世話になってます。大丈夫? あの子、結構わがままだ から色々迷惑してない? もしそうだったらちゃんと言ってね。察しが悪いから、言わないとわからないけど言えばちゃんと気をつける子だから。あっ、ケーキ とか好き?」
 などと、いわゆるマシンガントークを繰り広げられ、私がわたわたしていると、先輩はもういいから、とお母さんを止めて、私を二階の先輩の部屋へと案内し てくれた。ちょっと待ってて、と先輩は下の階へと戻っていった。階下ではバタバタ少し大きな足音と先輩とお母さんが何かを話しているのが聞こえた。手持ち ぶさたになってしまい、すぐ近くにあった本棚に眼をうつした。ラノベから漫画、純文学まで幅広い種類が並んでいる。何でも読むよ、と前にいっていたのは本 当のようで、いつ読んでるんだろうなぁ、と不思議に思ってしまう。大学、ちゃんと行ってるのかな。戻ってくるまでなにか借りても平気かな、と思い立ち上が ろうとしたところで、階段を登ってくる音が聞こえたので、近くにあったベッドに腰掛けた。部屋を物色するなんてはしたない、なんて思われたくはない。
「ごめん、母親が。今出かけさせたから、安心して」
 そう言って先輩はいきなり私に抱きついてきた。いくらなんでも急すぎやしないか、と思っているとあれよあれよという間に私は先輩にすっぽりと収められて しまい、今に至る。時計の長い針が半周くらいする間この状態だ。くっついている事自体は好きだ。先輩は体温が高いから、暖かくて気持ちいいし、触れている 部分はなんだか私じゃないみたいにふわふわして、融けてしまいそうになるから。でも、やっぱりなんの説明も無しにずっとこうされているのはあんまり本意で はない。別に怒るわけじゃないし、人がいない場所だったらいくらでもくっついていられるから、なんでこんな事をしているのか話してほしい。そうじゃないと 嫌だなぁ、とは思ってはいるのだけれど、さっきの先輩の表情を見るとなんだか言い出せなくて、結局頭を撫で続けている。それも時折頭を撫でるのをやめると 先輩が私のことを強く抱きしめてくるからで、今日は本当に甘えん坊な先輩だ。その状態を更にもう少しだけ繰り返すと、先輩はようやく胸元から顔を話して私 の顔をのぞき込んだ、かと思うとそのまま顔を近づけてくる。私はそれに応じて目をつぶると、唇に柔らかい感触がして、そのままそれが離れては近づき、離れ ては近づき、を繰り返す。いつもの(私がぼーっとしてしまうような)激しいものとは違って何度も何度も私の存在を確かめるように、絶え間なく繰り返され る。やっぱりこれも少し飽き飽きするような回数の応酬をした後、先輩は私をもう一度強く抱きしめて、ようやく口を開いた。
「前の彼女に。彼氏ができたらしくて」
 そうやって先輩は更に更に、私を強く抱きしめる。ちょっと痛い。それきりまた先輩は押し黙ってしまい、私を抱きしめ、時折キスを求めてはまた抱きしめるを繰り返す。
 さて、ちょっと困った。先輩の前の彼女、というのは、先輩が高校生だったころの彼女のことで、はっきり言うと、先輩はベタぼれだった。結局は高校卒業す る前に別れてしまったらしいが、別れてから半年くらいはいつ自殺してしまうのかと不安になったものだ。そんな先輩を見て、なんで別れたかは聞けなかった。 そんな先輩の後輩の私は、というと先輩と部活で一緒だっただけだ。練習の休憩時間にいつも幸せそうに彼女のことの話す先輩の姿を見て、その場所にいたい なぁ、と考えている私に気づいてしまうのは、そう遅くはなかった。それからというもの、なんでよりにもよって彼女がいる人を好きになってしまうんだろう、 と当時の私は非常に思い悩んでいた。先輩が彼女の話をする度に、彼女のことを羨んでしまったり、私の気持ちも知らない先輩がすこし憎らしくなってしまった り、でも彼女の話をする先輩の笑顔はやっぱり素敵だったり、とにかくぐるぐるする高校生活を送る。受験で先輩が部活を引退しても、時々彼女と一緒に笑って いる様子を見ると、私はいつも遠回りをしていた。そのせいで遅刻したことも一回や二回くらいはある。
 そんな先輩が彼女と別れた、という話を聞いたらもう、私は自分が抑えられなかった。あふれだす思いに身を任せ猛アタックである。受験勉強の邪魔にならな いように朝の電車に乗っている時だけメールしてみたり、先輩と同じ予備校に通ってみたり(両親の説得には骨を折った)、お昼を一緒に食べようと教室まで乗 り込んでみたり、試しにお弁当を作ってみたり。とにかくもう考えられることは全部やって、もうなし崩し的に付き合ってもらった、というのが私と先輩の馴れ 初め。
 ちゃんと告白もしたし、先輩も最終的には頷いてくれたけど、こういうふうに前の彼女さんのことで凹んでいるところを見るとやっぱり吹っ切れていなかった のだなぁ、と思う。頑張って先輩に私のこと好きになってもらおうと沢山の時間を先輩と過ごしてきたのだけれど、それも意味がなかったのかな、と思うと、泣 きたいのは先輩のはずなのに、私が泣き始めてしまった。それに気づいた先輩はごめん、ごめん、と、私の頭を優しくなでてくれる。私のより随分大きな掌は少 しごつごつしていて、暖かい。さっき先輩がちょっと自分勝手だったから、私もそのまま泣き続けて仕返しをしてやろう、なんて心の隅っこで思ってしまったの で、大丈夫です、と言おうとしたのを飲み込んだ。とても悲しい。とても悲しいのに、先輩が私のことを少しでも気にかけてくれることが嬉しい。でもそれが彼 女に対するものではなくて、ただの後輩に対するものなのか、と思うとどうしようもない感情が私の中で芽を生やす。このまま、全部先輩にぶちまけてやろうか と思ったけど、でも、その前に、先輩が口を開いたので、黙って先輩の話を聞くことにする。
「なんというか、察してるとは思うんだけど。そのことを聞いて、思った以上にショックを受けてる自分がいてさ。ちゃんと彩さんのこと、好きで付き合ってる し、これからもそのつもり。だけどいなくなったと思っていたのに、彼女のことが好きな自分が隠れていたみたいでどうしたらいいのかな、ってなっちゃって。 このままじゃ、彩さんに申し訳なくなってしまって。なんか、人の目とか、時間とか気にしないでくっついてたくて、無理やり連れてきてしまった。ごめん」
 そんなの、全部わかってます。二年以上好きな先輩の気持ちなんてわからないわけがない。先輩はその後、ぽつぽつと前の彼女のこととか、私のこととかを話 しているけど、内容はもう正直どうでもいい。だって全部なんとなくわかるから。でも、そういうふうに自分のことを隠さずに話す先輩のことを私は悔しいほ ど、好きだ、と実感した。きっと、前の彼女のことを思い出して、抱きしめているのだろう。でも、それでもいい、それでもいいんだ。

 先輩には今、私しかいないのだから。

 急に、目が覚めたようにそのことに気がついて、胸が踊る。先輩には申し訳ないけど、それ以上に嬉しい気持ちになった。さっきまでの泣いていた私はどこに行ってしまったのだろうか。今はもうどこにもいない。
 いま、前の彼女が好きな先輩がいても、いいのだ。私がそれを消していくだけ。
 先輩の頭を撫でながら、この中を私でいっぱいにするためにはどうしたらいいのか、考える。ううん、考えるなんて嘘だ。そんなの、もう体でわかっている。後は、実行するだけでいい。
「ねぇ、先輩?」
 覚悟してくださいね? と心の中で付け足して、とびきりの甘い声でささやくと先輩の体が震えるのを感じる。そう、そうやって私の声一つで震える先輩になってしまえばいい。私以外大切じゃない先輩になってしまえばいい。あの笑顔で私のことを話す先輩になってしまえばいい。
「別に、今、先輩が前の彼女のこと好きであっても構いません。これからずっと私が一緒にいて、その先輩を消してあげますから」
 先輩がでも、と言うのを唇に指を押し当てて、しっ、と止める。そして、ダメ押しでゆっくりと、キスをする。先輩の口の中は今までと違った味がした。とて も、おいしい。その味を十分に堪能した後、もう一度、耳元で囁く。その響きはまるで自分じゃない生き物の声のような気がした。
「だから、ね? そのために、今から私の大切なものをあげますから。だから」
「優しくしてくださいね?」
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