close to me and

 この世界はクソだ。現実もくそだ。現実を生み出す世界もだ。すなわち世界=現実であってその両者は総じてクソだ。反吐がでる。もし世界中の人々が口をそろえてこの世界は素晴らしいところだなんて脳みその一部分が腐ってるどころか全体が卵と牛乳のおいしいプリンになっているんじゃないかと勘ぐりたくなるほどの甘々の発言で口を揃えた(そんなことは天地が引っ繰り返ってその後陸と海の逆転現象が起こってもないと思うけど)としても私はこの世界を認めない。もしそんなことがあったとたら喉をかっさいて死ぬ。この不条理で不合理で不誠実な世界を私は決して認めない。もし私が世界を認めるとしたらその時は紐なしバンジージャンプをグレイトキャニオンの上で決行して死ぬ。そこまで言うなら早く死ねばいいのに、とかいう阿呆どもがいるかもしれないが、それは早計というものである。まだやっていないことがいくらでもある。さて、ここまで厭っている世界になぜ私が産まれついてここまで生きながらえているかは知らないが、もし神がいるなら神を恨んで丑の刻参りでもしようと思うし、仏がいるなら仏の顔も三度までと言わずその顔がぼろぼろになって泣きわめいて許しを請うまでバールのようなもので殴りつけたいし、悪魔がいるなら十字架に磔にした後に市中引き回しにしてその後獄門打ち首にしたい。もしどれもいないなら母親を恨むしかないが、生憎ながら私を産んだ時に死んだらしい。こればかりはどうしようもない。仕方ないので私のこの気持は五十六億年七千万年後とかいうお前は小学生かと突っ込みを容赦無く入れてやりたくなるような時期に下生するともっぱらの噂の弥勒菩薩とやらに責任をとってもらうこととして、延々とこんな話をしていても話が先に進まないのでもう少しだけ話をすすめることにする。
 さて、とりあえず過去の話をすることにする。今決めた。幼稚園時代の記憶は全くない。ついでもって言うと記録もない。焼けたか落ちたか沈んだかは知らないけれど何も残っていないらしいから省いておくとしよう。次に小学校の幼女時代を思うと確か図書室という普通のこどもなら調べ物をする時以外は立ち寄らないような場所に入り浸っていた記憶が脳の奥底に残っている。人と話すのが苦手だったのだ。いや、苦手と言うより嫌いといったほうが正しかろう。更に言うのであれば他人と口を聞くのが申し訳ないと思っていた。私如きがこの世界に干渉してよいのかと。その頃は感情をうまく発露することが出来ずに迫り来る世界というものの存在感にただただ圧倒されるばかりだった。
 人と話しているのも、教室で授業を受けているのも、トイレで用を足している時も、テレビのスイッチをつけるのも、晩御飯のピーマンをこっそりゴミ箱に入れるのも、朝の下駄箱で赤い羽根の募金に五十円を入れるのも、上履きのかかとを踏んで履いているのも。悪いこと、良い事、よくわからないこと、意味のないこと。何をしている時もそこにいる人間以外の誰かの視線、ないしなにかの存在をそこに感じずには居られなかった。常に私以上の世界という存在に怯えていた。
 そんな今まで感じていた何ががはっきりと世界そのものである、と認識をしたのが中学生の頃だ。やはり学校にあった図書室に電算機、いわゆるパソコンに手を滑らせた所で私は世界の存在を知覚することになる。その小さな箱は本来の私の手の届かない場所にある情報をローマ字なんてものを打つことが出来ればすぐその手のうちにおさめることができた。世界は勝手に動いている。それを目の前にあるちっぽけな箱は教えてくれた。
 その瞬間の私の気持ちはなんと表せばいいかわからない。悲喜交交が複雑に立体交差して三回転ひねりを入れた程度の気持ちだが一番強く心に浮かんだ気持ちは『すっきりした』だった。ようやく私がなんだかよくわからないままに恐れていたものが私の現実に姿を表したのだ。手垢にまみれた表現であれば「喉に使えた小骨がとれた」ような、私独自の表現を用いてみるなら「押して開けると思っていたドアが実は引き戸だった」ようなそんな気持ちに襲われたのである。
 その次に浮かんできたのは『怒り』であったり『憎しみ』であったりとにかくそんな負の感情。何も知らない私に恐怖感を与え続けていものが目の前に現れたのだから当然のことだろう。そしてそのとき私は復讐を心に決意する。といってもこの大きな世界という現実の前に平々凡々の少女である私ができることなど何も無いことに気づくのは四年後の高校二年生の頃ぐらいまで話が飛んで、それまで黒魔術だとか原子力だとか地震発生装置だとかで本気で世界に復讐しようとしていた私は急にそんなことがあほらしく思えたのだ。世界には私なんかよりよっぽど大脳的に優れている人間などは星の数ほど存在しているのであり、そのような人間たちが血反吐吐くまで研究し続けてようやく人生のすべてを糸通しに捧げてその間一度を糸を通すことに失敗しないような確率で成功するような世界の真理を追求するような研究に私ごときの人間が血反吐吐いた所で成功することなんてないということに気づいてしまったのである。
 結局として私は世界に復讐することには失敗するのである。そのかわり、と言うのもなんとなく八つ当たりのような気がするが更に世界を嫌悪するようになる。それは自分を嫌悪する人間からの攻撃を決して許すことはないのである。私の周りには私と同じようにとまでは言わないまでも世界を訝しんでいる、という人間は皆無であったし、それは私より賢い人間においても同様であって、サンプル数はそれほど多いわけでもなかったが、きっと私がどこに行っても世界に対して私と同じような方向性で世界という現実に心を傾けている人間なんてどこにも表現されていないのだろうと自分勝手に了承していた。
 そうであるというなら構わないし、きっと私が世界を憎悪していることだけで存在が許されない、という状況に貶められてたのであればきっと別のどこかで私と同じような人間が一人どこかで誕生するのだろう。とこちらも勝手に自己完結して私は世界を恨み続けるということを始めることになる。
 そんな風に世界を嫌悪する中で私は成長し、世界は私の思いなど広がる砂漠に落ちている画鋲とでもいうように歯牙にもかけずに私を許容し時間という歯車を回して私の成長を促進させるなか私はいらついていた。ただひたすらに腹が立っていた。なぜ世界は私を許容するのか。それが疑問だった。
 どんなに強固なものも、いや、むしろ強固なものであるからこそ軽微な傷が致命傷に至ることが常であるのだから世界はすぐに私という存在を消し去ってしまえばよいのである。今朝死んだらしい芸能人の代わりに五年前川に溺れた隣の飯田くんの代替に十八年後に癌であっさりと死ぬ同居人兼恋人という存在であった黒井あずさのかわりに私を世界からバグのように削除してしまうことをしかし世界はしない。
 私が黒井と同居するようになったのは偶然バーで隣り合わになっただけでそこに必然はなかった。もしかすると世界への敵視をやめさせようとした現実世界さんの気を聞かせた遠まわしな贈り物だったのかもしれないがそれはしかして失敗に終わったらしい。非常に酔っ払っていた黒井を邪魔で仕方なかったので介抱して家まで送り届けたらそのまま押し倒されてベッドインする羽目になったのだが、黒井は自分の服を脱ぎ散らかした所で別の所へダイブインしたようで動かなくなった。私はそれを見て家に帰ることもタクシーがなくてできないから、とりあえず布団をかけて私はソファーで寝た。目覚めた彼女は何がなんだかわからない様子だったが私が言って聞かせると朧気ながら残っていた記憶に水がやられ芽が出たようで、私に詫びを入れた。帰りたかった私は扉に手をかけたのだが朝食くらいなどと喚く黒井は止まりそうになかったので致し方なく味噌汁と炊いたご飯を頂いた。自分で作ったほうがましだった。
 食べている最中に昨日あったことを延々と黒井は話し続けた。私を残したのは黒井本人のためだったようだ。その中で彼女がレズビアンであることや昨日恋人に振られたこと、そんなことを話しながら私を慰み者にしたいというのだから驚きであるのだが、私はそのまま一緒に彼女の家に住むことにした。慰み者といっても精神の拠り所という意味でしかない。更にここで言っておくと私はレズビアンでもないし彼女に恋愛感情なんて抱いてはいなかった。先に追記するならばこれから前もこれから先も恋愛感情を抱くことはないし、レズビアンになることはない。まぁ、ある程度近くにいることになった黒井は嫌悪の感情は抱かなかった私のこの人生で殆ど唯一と言ってもいい人間だった。かといって好きなわけではないのだが。あえて言うなら「クソの中からましなクソを選んだ」というのが一番わかり易い。そんなものだ。レズビアンであれば性行為をしたとしてもこどもが出来ることはないし、そもそも行為をすることも無いことも多い(事実黒井もそうだった)。それと通勤時間が少し短くなる。その程度の理由だった。
 都合三回(正確を期すならば四回なのだが最後の一回は果たして会ったというべきなのか知らないので数えないことにする)会うことになるその少女、あるいはそれに対しての二回目の邂逅だった。
「久しぶりね」
 少女はフリルのついた黒い傘を回して言う。
「何しにきたの?」
「あなたの様子を見に来たの」
「どうして」
「後悔してるかなって」
「何を」
「私を嫌っていること」
「してないわよ」
「その人が死んでも?」
 傘で黒井を指し示す。傘で隠れていた顔が顕になるはずなのになぜかその顔は見えない。代わりに頭に付いているヘッドドレスの赤色が目に焼き付く。
「えぇ」
「不思議な人、大事な人を奪われたのに」
「そっちに言われたくないわ」
「あたしこそあなたに言われたくない」
「私はただの人間だもの。あなたが大嫌いなだけの」
「あたしだってただの現実であって世界だもの。誰にも姿を見せないだけで、あたしはどこにでもいるの。言ったよね?」
「私をずっと見ていたのはこのあいだ聞いた」
「それはちょっと違うの、あなたを見ているのはあたしであってあなたじゃない。ずっとあなたを見ているようで実はあなたを見ていない」
「言ってることが変わってるじゃない」
「いいの、あたしだから。あたしは見ているの。そして見ていないの。そして見てることと見ていないことで全てが決まるの。だから実はその人が死んだのはあたしのせいじゃないけどあたしのせい」
「何を言っているかわからない」
「いつかわかるよ、それじゃまたね」
「二度と会わないことを願ってるわ」
「それは無理だよ、また会うって決まってるから」
 そう言って黒いロリータ服の少女の姿だったそれは消えた。そのときに言われたことがわかるのはもう少し後になってからのことだったのだが、ひとまずそれが初めて私の眼前に突如として現れたときのことを想起すると黒井と出会う七年だか八年だか前、大学生になってしばらくしてからだったような覚えがある。
 私が世界の理に必死に抵抗しようとして(一応常識に対して戦うような真似もしていた。結局その試みはそのあたりで終わりを余儀なくされるのだが)出来なかった結果、大学入試というものを無事なのか存じ上げないがとりあえず終わらせた。高校生の頃に復讐を諦めたなんて言ってはいたがあれは嘘で、いや、嘘ではないのだがなんと言えばいいか。口では諦めた、と言っていても心の奥では諦めていなかったというのが妥当だろう。そんなわけで私は少しでも世界に対抗しようと数学科に入学した。ついでに物理なんてものもいわゆるモグリで学ぶことにした。その二つが唯一世界を解き明かす学問のように感じたからだ。
 が、その考えは今となっては非常に甘かったとしか言いようがない。その二つは私にとって世界を変えることができない、ということを学ぶ学問でしかなかった。確かに世界を解き明かしてはいた。けれど物理法則なんてものは女心と違ってどれだけ努力しても書き換えることはできないし、数学の答えなんてものはもっと無味乾燥で延々と悩み事を相談した結果、相手に一言で最適解を返されるような理路整然さがあるだけだった。
 更にマズかったのは私より賢い神田耕平という人間がいたからである。これが本当にまずかった。彼は私がくじで大当たりを出すために何回も引いてる横で、全部大当たりのくじを引いて当たりなんて喜んでしまうタイプの人間だった。つまり彼にとって当たりを引くことは必然であり、普通の人間が努力してようやく辿り着く当たりにくじを引くという一つの動作だけでたどり着いてしまうタイプの私が厭う世界に愛される人間だったのである。
 そんな世界に愛される神田耕平が私に対して告白なんて冗談めいたことをしてきたのは空気読めない馬鹿、略してKYBKとでも言えばいい。私と世界の緊張関係の中に何も知らない、しかも世界に愛された人間が割り込んできたのだ。勿論私としてはその当時は現実世界が懐柔に出てきたのかと思ったし実際「今から電話して実は恥ずかしくてなんてことを言えば私に疑問も浮かべることなく幸せに暮らせるよ?」なんてことを少女の姿を模した現実という名の世界が問いかけてくるものだから、私はその程度で私が態度を軟化させるとでも思ったのかと実際にはもっと使うべきでない言葉で口汚く罵り、更に世界への嫌悪を募らせることになる。
 それは私の目の前に姿を表すと
「こんばんは」
 と傘を回しながら言った。
「こんばんは、あなたはきっと世界ね」
「あら、よく知ってるね、一応自己紹介もユーモラスたっぷりにするつもりだったんだけど」
「そんなことどうでもいいわ」
「あら、そう。まぁ、いいや。何故あなたは私に抗うの?」
「抗っているつもりはないわ、ただあなたが嫌いなだけ。本当ならそこにある椅子でぶっ殺してぶっ殺してぶっ殺して三回くらい殴り殺した後、おまけで扇風機で殴ってもう一度ぶっ殺した後フードプロセッサーで野菜とか大好きな林檎とかの果物と混ぜてジュースにしていただいてしまいたいくらい大嫌いだけどきっとそれをしても意味はないでしょ?」
「あら、それは物騒だね。でも確かに意味はないわ。私はどこにでもいるから。たとえ消しても後から出てくるの」
「ほら」
 後ろから図太い男の声。
「ほらほら」
 こんどは右から少年の高い声。
「ほらね」
 上にも
「ここにも」
 下から
「ほらね」「いるでしょ」「わたしは」「ここに」「あなたの」「だれでも」「そばに」
 声の反響が全方位から飛んできて私の脳内を蹂躙していく。それは優しさの一欠片もなく私はそれに少しだけ負けそうになるが世界に対する嫌悪感を脳内の一箇所につくりだすとそこから世界の声は融け始めまた一つの眼の前の少女の形に戻っていく。
「ふふ、あなたは強いんだね」
「あなたをずっと厭い続ける程度にはね」
「そっか、そしたらまぁいいや。あたしはあなたを見続けるよ」
「これまでだってそうだったじゃない」
「そうだったね。あなたを見続けて、あなたを決めるから。忘れないでね」
「忘れるものですか」
「それじゃ、またね」
 そう言って私の目の前から溶けていなくなる。けれどたしかにそれは私のそばに立って私のことを見つめていることだけは確実で私はそのことに吐き気をよもおしてトイレへと駆けこむ。白い便器に向かって昼間食べていたミートソーススパゲッティの残骸が私の血のように戻される。すっかり胃の内容物をその中にぶちまけるとレバーをひねって下水管へと元私の一部を流していく。そのグルグル回る赤い水の様子を見ていると桜田のことを思い出す。
 桜田一星が突然として私の人生に関わってきたのは社会人になって三年くらいのことでその頃の私は黒井と出会って同棲することになるのをしらない。そんな私は桜田に食事に誘われて偶然お金もなかったのでのこのこ連れられて行ってしまった高級ホテルのレストランで高いワインを飲んでえらく酔ってしまったおかげで桜田に抱かれることになる。どうやら計画的だったらしく今の私からしたら家で昨日の残りのカレーライスでも食ってろとでも私に言ってやりたいのだがそんなのは無理。
 私は下の穴に桜田の突起を入れられた痛みで突如としてすべての酔いが一気に空中に散開し、大きな声で叫ぶ。痛いイタイいたいと叫ぶ。多分この瞬間だけは世界への恨みも嫌悪も忘れていた。勿論そのあとこの痛みを与えることを必然としている世界に対してその怒りのボリュームをあげることは忘れなかった。痛みの発生源を見つめようとするとその前に桜田の顔があって邪魔だったので足を使って桜田を蹴り飛ばす。桜田を飛ばした拍子に突起が私の中にひっかかって余計痛みが増して正直失敗したと思ったがそんなことはどうでもよくとにかくそれが入っていた穴を確認する。
 そこからはおびただしい赤が広がっていて私は少しだけ恐ろしくなった。何故世界は血液を赤くしたのか。それも恨みリストに入れておく。その赤の色がさっきのミートソーススパゲッティの色に似ていたから私は桜田のことを思いだしたということを思いだす。とにかくその赤い色が嫌だったようで私はトイレからすぐに出た。それでも桜田のことは頭から離れずその後のことが頭の中でトーキーのように流れだす。
「ごめん、まさか初めてだとは思ってなかったから」
「いいよ別に、私が決めたことじゃないから」
「君が決めたことじゃないならもっと怒るべきじゃないかなと思うんだけど」
「私がこの現実世界に対してできることなんてひとつもないから、もう。恨んでるだけ、嫌悪するだけ、辟易するだけ、厭世するだけ。それしかできないし、もうそれしかしない」
「何を言ってるかわからない」
 これは私も言ったことがあるな、と思いながら返す。
「当たり前じゃない、わかるのはあたしと現実だけだしあなたになんてわからない」
「そうか」
 彼は立ち上がり冷蔵庫からボルヴィックを取り出してのどを潤す。
「いきなりであれだし順番が違うけど、僕は君が好きなんだ、よければ……どうかな」
 こいつも神田と同じらしい。脳みそがとろっとろに溶けてもはや空気という字どころかKUUKIとかいても読めないんだろうし”くうき”なんて書いても一生読めることはないのだろうと思って言葉を発することにする。
「もう正直どうでもいいし、あなたを使っているであろう現実なんてものは大嫌いだけどあなたという駒に嫌悪感は抱かないからそれでいいけど、一つだけ聞かせてくれるなら」
「何を聞きたいの?」
「どうしてあたしを選んだのか」
「僕が君を見ていなかったからだよ、こういうのもなんだけど僕は優秀だし顔もいいし普通の女の子なら多少なりとも意識してくれてもいいはずなんだけど君にはそれがなかったからね。僕と会話していてもその向こう側を見ていたというかな、感覚的なんだけど」
 それはきっと私が常に世界を意識しすぎていたということだろうか。私の周りに存在している人間や植物や無機物が世界の力によって動かされ、私を現実のバグとして取り除こうとしていると思っていたから当然だけど。でもこの出来事は別に私を貶めようとしていたわけではなく桜田の動きが勝手にそう決められてしまっただけで偶然そこの私がいたなんていう冗談みたいな話であることを三回目に現実が来たときに聞かされる。
「そう、じゃあ好きにしていいよ。勝手にして。痛くても泣かない」
 そう言うと最初は遠慮していたが私の中に一度いきり立ったモノを挿し込むと先程の出来事は彼の中で生きた化石並みに古いものになってしまったらしく、私のことを一切考えない傍若無人の勢いで穴の中に出し入れする作業に熱中してそのまま桜田は私の中に彼を出してしまう。好きにしていいという文字を文字通り受け取ってしまう馬鹿らしい。考えっていうものがない。一度だけでは彼は満足しなかったらしく私の体勢を変えると二回、三回、結局五回ほどエレクトして私の中に白濁液をぶちまける作業を終えると彼は眠りについた。私はというと初めての行為だというのにそれなりの快感を感じる一方でなるほどこの感情が得られるのであれば世に言うゲロ豚クソビッチという存在も許容されて然るべきであろう、とか阿呆なことを考えていた。これも世界が決めたのだろうか。蟷螂は交尾した後にオスを食うらしいがそれも世界が決めたのであろうか。よくわからないが結局私も気づいたら眠りについていて次の日はベッドについていた。
 そんなことがあってから三ヶ月後にそう言えばしばらく月のモノが私の子宮をノックしていないことに気づいた私が近所の大学病院の産婦人科の扉をノックしてみると案の定桜田の分身が五回の発射の中で私にゴールインしたらしく私はめでたくご懐妊させていただいたということらしい。
 そのことを次の日桜田に伝えると彼は涙目になりながら「黙っていてくれ」「専務の娘との縁談が」「申し訳ないけど堕ろして」とそんなことを言い出した。「金ならいくらでも」と宣うので搾り取れるだけ搾りとって病院に行って残念ながら生まれることはできない命にほんの少しだけ憐憫と悔恨の情を持ちながらこんなことなら例え世界の駒だとしても屑といっても差し支えなかろう桜田よりも同じ馬鹿だとしてもほんの少しだけまともだったであろう神田に抱かれておくんだったと思いながら私は麻酔か何かの影響で落ちていく。
 次に目を覚ましたのはベッドの上でそこでは私は死にかけの体で実はもう八十近くの年齢である。それだけの年月を重ねても私はこの世界、現実を恨み続けたわけで世界、現実は私を許容し続けてきたわけだから勝ち負けで言ったら私の圧倒的敗北なわけである。厭い続けても何も変えることができなかったのだから。そっと目を閉じてようやく死ぬのか、と思ってゆっくり目を閉じようとすると突然ベッドの横にある気配が一段と大きくなった。
「もう死んじゃうの?」
 室内だというのに傘をさしたそれはそう言った。
「それはあなたが決めるんじゃないの?」
「それはそうだけど。もしかしたらあなただったらあたし越えることが出来るかもしれないよ?」
「冗談はやめて」
「冗談じゃないよ。あなたはあたしを嫌い続けたんだもの。あたしは無視していようとしたけどあまりにもあなたが私を嫌うものだからこうして見えるようになったの。もう、三回目だよ? それだけあたしに会ったってことはそれは立派にあなたの価値じゃないかな」
「知らないわそんなの。だいたいなんでもあなた基準なんて反吐がでる」
「ほら、そんな状態になってもあたしに歯向かうんだもん。まいっちゃう」
 クククと喉を鳴らして笑うそれの姿を私は初めて見たような気がする。
「それが私だから。あなたを嫌悪して厭って嫌って歯向かって睨んで狂って殴って壊して。現実なんていやらしいものに飲み込まれないようにあなたを拒否し続けたのが私。あなたが決めた死という必然の前でもあなたを否定し続けるのが私。そうでないと私じゃない」
「ほら、やっぱりね。とにかく頑張って。きっとあなたならもう一度できるから」
「あっそ」
 簡素に返すと気配がほんの少しだけ薄まりそこに姿を表した現実世界はいなくなる。私はついに現実に飲まれるのか、と改めて世界への憎悪と一欠片の諦めの情を持って目を閉じると両手に力を感じる。
 もう一度目を開けると黒井がベッドで眠っていて私は椅子で眠りこけていたのだと気がつく。時計を見るまでもなく外は暗くなっていてそろそろ面会時間終了だろう。明日も仕事があるし晩御飯を食べていないからとりあえず帰ることに決めて黒井に書き置きを残し病室を出た。エレベーターでストーンとマントルまで落ちるなんてことは勿論なく一階にたどり着いて病院を出ると駅に向かって田園調布線に乗ってビューンと自宅に向かう。そんな電車の中で私は黒井のことを少しだけ考える。結構重度の癌でもう手術しても回復は見込めないとかで、抗癌剤治療は本人が拒否したからもう三ヶ月くらいの命の私の同居人の黒井のことである。彼女が死ぬとなると私でも結構辛いものというか世界に対する憎しみよりも先に彼女がいなくなった後の生活を考えるとなんだか少しだけ足りない気がする。晩御飯も全部自分で作らなくてはいけないとかそんなくだらないこととかも色々あるけど、思いの外黒井の存在は私の中で上位にあることを今更自覚するが、そもそも私に近しい人間なんて今まで黒井しか居ないのだから仕方ない。
 自宅に向かうといったけれどとりあえず外で晩御飯を食べて帰らなきゃいけなかったのでぶらり途中下車よろしくぶらぶらと駅前を歩いていると突然私に向けて声がかかる。振り向いて顔を見ると随分おっさんになった神田の顔がそこにあった。私も年をとっているので何も言えないけど。ここで会ったが百年目だか何か知らないけど神田は私を食事に誘い始めたのでちょうどいいタイミングだと思って私はその誘いに乗ることにする。馴染みの店があるからと言って神田は私を電車に乗せて降りた駅で車に乗せて最終的に高いビルの最上階のレストランで食事をとることになった。
 普段の私の食生活からすると一生胃の中に入ることがないであろう金額が怒涛のように並んでおり、これが格差か、と世界に向けて毒づいておくことも忘れない。これだけあれば何人どころか何万人単位で人間を助けることができるのに、と思いながら私はそれを口に出さずこんなもの食べ慣れているなんて雰囲気をだすことを徹底する。マナーもそれとなく完璧に。
 神田はどうやら数学で偉い研究を成し遂げたらしく一万円拾うよりもその時間働いていたほうがよい生活をしているらしい。ただ、彼は一万円は勿論拾うし、数学の研究は辞めるつもりはないみたいなことを話していたことは霧の向こうに見える人影程度には覚えている。何故そんなに認識レベルが低いのかというとどうやら私は非常にアルコールの分解能力が一般的な日本人より著しく低い劣等人間であるらしく、なんだか昔にこんなことがあったような気がするが高いワインを飲んだだけでタコも吸盤を放り出して逃げ出す程度には赤くなるらしい。
 また酒を体内に取り入れるとなんだか性的欲求が異常に高まるらしく男を誘惑するらしいということがその次の日に白いベッドの中で裸のまま神田の隣で目を覚ましたことで発覚する。生殖活動という世界を存続させるための行動に加担してしまった自分が本当に嫌になる(ちなみに桜田との行為はレイプみたいなものなのでノーカウントである)。とりあえずシャワーでも浴びようとベッドから抜け出す。ガチャ、シャー。
 四十度前後の人肌より少し高めのお湯を浴びていると下の穴からとろりと昨夜の行為の名残である白濁が出てきたので思わず「shit!」と叫んでしまいそれが反響してのでそのままニ、三回それに合わせてつぶやき世界への憎悪を投げつけておく。何故私の周りには避妊という考えが持った人間が居ないのだろうかと悩んでしまおうかと思ったが、世界の理に私を取り入れようと現実が取り計らってくれたことだと信じてもう一回shitを追加した所でベッドルームに舞い戻ると神田が起きていた。
 あれだけ(といっても覚えてないけど)行為をしたというのに朝の生理現象は既定事項らしく神田のそれは元気よく天を指していて私はそれが嫌になったが神田はこれ幸いと私に覆いかぶさり有無を言わさず挿入される。これでは性欲に溺れた中学生ではないかという程度にはただただ腰をふるだけの神田にまぁ、このほうがわかりやすくていいかなんて思いながら私は感じているふりをするために固く目を閉じる。
 肩をポンポンと叩かれるのを感じて目を開くと若いころに私に似た人間が私をのぞき込んでいることに気づき、また死にかけの私がいることを同時に知覚する。
「お母さん、おはよ」「起こさなくてよかったのに」「もう帰るから、なにかあるかな、と思って」「ないからもう帰りなさい、遅いから気をつけな」「うん」
 そうして娘の千佳子は病室から出ていった。結局私はあの日の神田の生が私の子宮にカムホームしたせいで神田との間に子を設けることになって世界の存続に協力したくなかった私は堕ろすと言ったのに、神田はそれをするくらいなら死ぬとか言い始めたためそれはそれで気分が悪くなってしまうので私は神田に押し切られて娘を生むことになった。そんなわけで私の今の苗字は神田であり、私に世界の存続に加担するような真似を強制させたその張本人は私が今から向かおうとしているところにちょっとそこまで感覚で召されてしまったので千佳子が私の面倒を見てくれているがそれも今日で終わりだ、ということをはっきりと知覚する。
 これが死を自覚するということか、と脳内に浮かべながら私を振り返ってみると結局世界への憎悪だけで生きてきたような気がするのであわよくば世界なんて現実をぶち壊してしまおうと思っていた私にとってこの人生は失敗なわけで少なからず私の人生に関わった黒井と神田には申し訳ない気持ちを先に述べておけばきっと許してくれるだろうと思って私は大して信じてもいないあの世という存在に赴く事になる。と、思っていたら耳、というより脳内に声が響いて最期までこいつか、とゲロ吐きそうになったがもう体は言うことを聞かずに横たわっていてそれを見て私は魂になったことを知る。こんなもんか魂。
「はじめまして」
 脳内に響いた声はそれで、なんとなく胃がムカムカする。
「どこがはじめまして? 白々しい」
「あたし総体として会うのははじめてかなぁって」
「そんなの知らないわよ」
「そう? というかお疲れ様」
「嫌いな相手にお疲れ様と言われることほど嫌なことはないわね、しかも結局あなたに負けているのに」
 相変わらずとぼけたものだと思う。これだから嫌悪感を抱かずにはいられないわ。
「ううん、あなたの勝ちだよ、世界は死も自己の一部分であって普通はそれの存在に気づくなんてことはないし、そもそも会話なんてできないんだから。そもそもあなたと話せてる時点であたしの負け」
「ならさっさと言いなさいよ、もっと現実を楽しみたかったわ。ていうか子ども生んだんだからあなたの存続に力を貸し与えているんだから私の負けに決まってるじゃない」
「あなたもあたしを否定したんだからあたしもあなたと戦っていただけだよ。あと、あたしを否定し続けたあなたの子どもがまともなわけないじゃない」
「そんな素振りないわよ」
「そりゃあなたとは違うから。猫かぶってるだけ。多分」
「それならいいんだけど」
「そうだから困るんだけど。まぁ当分の間あたしが負けるはずないけど」
「やっぱり私負けてるんじゃない」
「相対的にはね。世の中多数決で決まるんだから当たり前」
「世の中自身が言うのね」
「世の中だからね」
 そこで一瞬時間が開いて私は世界の全体を知覚することにようやく成功する。あぁ。こういうこと。
「あなたってこういうことだったのね」
「うん、そういうこと」
 そこには確かに何かが広がっていて、なにがなんだかわからない情報の海が本物の海と違って際限なく広がっていて肉体があった頃の私じゃ無理だっただろうけどそんなものに縛られない私はそこを蹂躙して桜田のように犯して犯して犯せるだけ犯して帰ってくる。
「あたしのこと覗かないでよ、えっち」
「私のこと覗いていたくせによく言うわ」
「しまったそれもそうだから今回は許してあげる」
 そこでまたしばらく間があってもう一度世界を犯してあげようかと思ったけど世界がそれを無理やり拒否したので諦めて私は脳内に世界の構造をできる限り焼き付けて言う。
「まぁ、あなたに勝てたのも事実だし、負けたのも事実だわ」
「そうだね」
「だから、あなたを負かしにもう一度行ってくるわ」
「どうやって?」
「もう一度生まれて。あなたの干渉は受けないから好きなところに生まれてくるわ」
「あら、バレたの? このままでも良かったのに」
「あなたが余計なこと言うからね。それじゃまた」
「うん、またね」
 そうして世界と私の接続は切れて世界は私を補足できなくなるが、すぐにまた生まれ直した私を発見して私を見る。
「あとどれくらいかかるかな」
 世界はそう呟いたが生まれ変わった私の耳には届かず世界そのものの中で言葉は溶解する。
 こうして幾万回目の私の人生は終わってその次の私が始まった。