TOP

● 恋愛術@サイエンス  ●

 通勤には自転車を使うことにしている。
 今日はなかなか天気も良く、吹いてくる風も心地よい。しっかりとした秋らしい空気に満足し、こんな日が絶好の行楽日和と言うのだろう、と一人納得する。 ただ生憎なことに今日は平日も平日のど真ん中の水曜日である。有給はついこの間使ってしまったので流石にまた取るわけにはいかないだろう。住宅地の間を自 転車でしばらく走ると僕の職場が見えてくる。外見は少し古ぼけた診療所か何かに見えるのだが。

 『鷲宮秘密研究所』

 自転車を止めた門の横には普通のそして素っ気無い木の札がかかっている。自分で言うのも恥ずかしいくらいなのだが僕の勤務先はこの研究所だ。友人家族に 言えたものじゃない。これだけ堂々と書いてあって秘密とは一体全体どういうことか責任者を小一時間問い詰めたいところである。どれくらい知名度が高いかと いうと近所の小学生が「じゃあ今日もあそこの秘密研究所の前で待ち合わせなー!」と言うくらいだ。このあたりのハチ公である。
 まぁ、そんな全然秘密じゃない研究所ではあるが、警備のシステムはそれなりのものである。多分国内で一番と言っても差し支えないだろう。まずは門のとこ ろにいる警備員に社員証を見せる。とりあえず第一関門突破。というよりこんなのは序の口、いやほとんど形式的なものである。ここからが長いのだ。建物の中 に入ると、二階への階段には目もくれず地下に降りていく。さて、そんな警備システムにはどんなものがあるか、というとなかなか説明しづらいものが多いのだ が、精一杯わかりやすく言うと12だか13だか14だかの数字がつく名スナイパーが相当な努力をしてようやく目的地に到達できるかできないか、といったレ ベルである。
 そんな警備システムをいつもの要領で解除していくと、ようやく最後のシステムにたどりついた。これが厄介者の話者認識であるのだ。いや、話者認識自体に文句があるのではなく、問題は言う台詞である。あー……、よし深呼吸して。
「ふっ、……私の勘が正しければ、この事件を本当に終わらせられるのは恋を知る者だけだよ」
 言い切った。ゆっくりと目の前の扉が開く。それと同時に大きな笑い声が聞こえてくる。
「あははははっ! この事件を! 終わらせる! ははっ、恋を知るものとか! ひゃはは! 笑いが止まらない!」
「……あなたが決めたんでしょう? 着替えてきます」
 大爆笑している彼女を横目に更衣室に逃げ込む。因みに今の台詞だが、一週間ごとに変えられる。先週は「殺戮のプレリュードに少女の鮮血のワインを開けよう。」で先々週は「俺様の美技に酔いな」だっただろうか。全くなにを考えているんだ。
 さっさと着替えを済ませて外に出ると先ほどの彼女が三メートル程先の椅子に腰掛けている。そして目のあたりをぬぐいながら話しかけてきた。
「いやー、桐谷君。先ほどは笑わせてもらったよ。私の毎日の楽しみは君の吐くイタい台詞ぐらいだよ」
「だからあなたが決めたんでしょう? 個人的な趣味を職場に持ち込まないでください」
「いやいや、これは職場のみんなの総意だよ! 毎朝君の台詞を楽しみにしているんだよ。なぁ、みんな?」
 そういって彼女が部屋を見渡すとちらほらと頷いているのが見える。みんなと言っても今日は人数が極端に少ないのだが。中には思い出し笑いをしている連中もいるようだ。くそ、あいつら今日の昼飯奢らせるぞ。
「はいはい、わかりました、わかりました。そろそろ仕事に入りましょう、鷲宮教授。」
 僕がそう言うと彼女はゆっくりと椅子から立ち上がりこう言った。
「私としてはもう少しこの非生産的な会話を楽しんでいたかったのだけどね……君が言うなら仕方ない、では楽しい、楽しい仕事を始めるとするか。準備はいいかな? 桐谷君?」
「百光年ほど昔に出来ていますよ。それでは、行きましょうか」
そう、この少女こそ僕の上司にしてこの秘密研究所の所長である鷲宮百合である。



 さて、彼女、鷲宮百合についてある程度語っておくとしよう。髪形は日によって違うが後ろで結んでいるか、おろしているかがほとんどである。今日はおろし ていた。身長は165センチあるかないかぐらいで体重は……いや、聞いたことがない。言及するのはよしておこう。これでも僕は紳士なのだ。肌は透き通るよ うな白で、目は切れ長でりりしい雰囲気をかもし出している。ここまで言えばなんとなく感づくと思うが、端的に言うと容姿端麗だ。更に言ってしまえば頭脳明 晰。大学を飛び級であっという間に卒業。現在十七歳。どの分野でも第一人者となれるほどの才能があるが、彼女は心理学者を自称している。万能人と呼んだほ うがいい気もするが。因みに彼女が心理学者を選んだ理由は『人間が世の中で一番面白いから』だそうだ。ここまでくると品行方正という単語も付けたくなる が、そこが上手くいかないのが鷲宮百合である。
 これまた端的に言うと彼女は人格破綻者だ。動物が殺されていく様子が映ったビデオを見ながらステーキを食べ始めるし、突然ナイフで自分の手の甲を切り裂 いてみたりする。本気で人間が邪魔だから三分の一ぐらいに間引くべきだとか言い始めたと思ったら今度は昨日車に引かれた猫の死体を見た、かわいそうだった から土に埋めただとか。とにかく僕も良くわからないのだが、彼女はおかしい。こんな彼女とそれなりの期間、平気で隣で働いている僕もおかしい。多分。
「ところで桐谷君。君は今日もこんなところに来ていて平気なのかね?」
 そんなテキトウなことを考えていると隣にいる彼女から声がかかった。
「来ていて平気? 何故そんなことを聞くんですか? ここは僕の職場です。来て当然でしょう」
「いやいや、そういうわけでもないのだがね。君は聞いていないのかね? 新聞・ニュースは見ないほう? 俺はメディアなんか信じないぜ、ロッケンローみたいな?」
「誰ですそれ? 全くわからないネタを持ち込まないでください。ところでなんでしたっけ? あぁ、そうでした。知っているか知らないかと言ったら知っていますよ。明日で世界が滅びるんでしょう?」
 そう、世界は明日で滅びるらしい。
「知っているようで何よりだよ。いやー、しかし一昨日いきなり発表されたときは目玉が飛び出るかと思ったよ。」
「飛び出なくて残念です。あれですよね、ここ最近になって約三百年前の世界再構築の時に、アメリカ南西部に生まれた黒穴、別名『死の境界線』と書いてデッ トオブホライゾンと読ませる黒穴が徐々に拡大していることがわかって、それがわかったころにはそれを食い止めるのは厳しい状況で魔龍使いとか伝説の魔法使 いの力を借りたりしたのですが、やっぱりダメで結局人類に出来ることは世界が飲み込まれるまでの時間を計算することと祈るだけで、紆余曲折した結果、計算 上では明日世界が滅びるんでしたっけ?」
「……桐谷君。君の想像力にはついていけないよ」
「お褒め頂きありがとうございます」
 褒められていないのは重々承知である。彼女は呆れたように少し息を吐いて、そのまま歩みを緩めずに僕にこう言った。
「世界が滅びるのはもっとシンプルな理由だよ。隕石がドーン! だ。面白みも何も無い」
「だから僕が心躍るような設定にしているんじゃないですか。さっき言ったみたいなほうが楽しいでしょう?」
「お気遣いありがとう。で、質問の答えをまだ聞いていないのだがね。君のような奇特な人間もいるが、他の職員は愛すべき家族、恋人、両親、他人のために休んでいるのだよ?」
「構いませんよ。僕に友達はいないし、恋人もいないし、両親も少し前に二人とも死にましたし。今の僕の楽しみといえばゲームくらいのものですから。あとはそうですね、世界が滅びる直前に教授に告白でもしてみましょうか」
 僕が一秒も考えないで、その中にいくつかの嘘を交えてそう言い切ると彼女は少し考えたあとこう返した。
「なるほど、それでは私はその告白を楽しみにこの大切な一日を生きていくことにしよう。
 それでは今日、即ち世界最後の日の実験を始めるよ、桐谷君。手始めにラットの心臓をアルミホイルで包んでみようじゃないか!」
 心理学者がラットの心臓をアルミホイルで包んでどうなるのだ。いつも通りの妖しい笑みを浮かべた彼女の隣を歩く。彼女の部屋までの道のりはいつもどおり。やはりすれ違う職員の数だけが少なかったのだが。



 午前中は彼女の宣言どおりラットの心臓をなんやかんやで包み、それが終わると環境に優しいインクの開発だとか、不老不死になる薬の開発だとかであっとい う間に過ぎ去っていった。今は昼食の時間である。白い天井、フローリングの床、オレンジ色の椅子。そんないかにも私は食堂ですという光景がだだっ広くある のだが、普通の食堂に見られるような混雑はなく、人はまばらで会話のざわめきも耳には届かない。そして僕の目の前にはお洒落なサンドイッチをほおばる鷲宮 教授の姿がある。彼女は僕と目が合うと
「桐谷君、君はいつもうどんばかり食べているが飽きないのかね? 栄養バランスも悪くなるし、たまには他のものを食べてもいいんじゃないか? なにより今日で世界が終わるのだよ? そんな時くらいステーキぐらい食べればいいじゃないか」
 そんなことを言っている気がする。因みに実際は
「きひふぁにふん、きみふぁうぐごはかりふあべいうあ」
といったアフリカの奥地で使われている言語のようなものしか聞き取れなかったのだが。
「教授、食べ物を口に入れたまま喋らないでください。汚いですよ。それに何度言ったかわかりませんが僕は食べ物には無頓着なのですよ。食べやすければいいのです」
 彼女は僕の忠告を素直に受け取ったのか、口の中のサンドイッチをゆっくりと咀嚼し飲み込むと、ティーカップについである紅茶を少し熱そうに口に含んだ。不覚にもくちばしが可愛いと思ってしまった。そんな気持ちを表に出さないように注意しつつ彼女に声をかけた。
「ところで教授、午後はなにをしますか?」
「うむ、それは考えていたのだがね。なかなかに難しい。どうせ明日世界が滅ぶなら何か研究したって役に立つものでもないだろう? それなら思い切り非生産的な行動に勤しむのも悪くないと思ってね」
「教授らしからぬ発言ですね、熱でもあるんじゃないですか?」
「おいおい、君は私を何だと思っているのかね? こう見えても十七歳の女の子なんだぞ。こんな時にはテキトウなこともしたくなるってものじゃないか。で、君はこの意見に賛成かい、反対かい?」
「非生産的な行動とは一体なんなのでしょうかね」
「オーケー、決まりだ。そうと決まれば善は急げ、少し待っていたまえ、桐谷君」
 そういうと彼女はサンドイッチが入っていた小洒落たバスケットと先ほどまで熱い紅茶が入っていたティーカップを持って返却口に行くと僕のほうまで戻らずに外へと向かっていってしまった。僕はまだ何も答えていない。
 程なくしてザザッとスピーカーから聞きなれた声が流れてくる。あの、凛として、いつも皮肉めいた口調のあの声だ。
「研究員及び職員諸君。今日の業務は終了だ。世間では世界が終わるなどと騒いでいるこんな日にこんなところにいるのもつまらないだろう。昼食を取ったら速 やかに家に帰り愛すべき家族、友人、恋人、隣人、他人、変人、奇人のために全力で非生産的行動に勤しみたまえ。理解したかね?」
 なるほど、帰っていいのか。家に帰って例の神を狩るゲームでもやろうかな。最終装備がもう少しで全部揃うのだ。
「あぁ、わかっていると思うが一応言っておこう。桐谷君は私に世界が終わるまで付き合ってもらうよ。私には友達がいないんだ、どうせ君もいないのだからいいだろう?」
 はい、どうせこうなることはわかっていました。帰ろうなんて思ったのは嘘。どうせうどんも食べ終わっていないから帰る気なんてなかったし。僕は食べ物を残さないよう躾けられているんだ。いい子いい子。
「さて、桐谷君、世界が滅ぶまでなにをしようか?」
 放送を終えた彼女が少し息を切らしながら僕の目の前の席に座りながら僕に話しかける。僕は教授のように行儀が悪い人間ではないので口の中のうどんを飲み込んでから返事をする。やっぱり僕はいい子。
「そうですね、僕が家に帰ってゲームするというのはどうでしょう? きっと楽しいですよ」
「君は楽しいかもしれないが私は楽しくないよ」
「冗談です、お付き合いしますよ。何かしたいことはありますか?」
「ん、それが特に無いのだよ」
はい? 僕と彼女が会話しているのを尻目に食堂にいた職員たちはドンドン帰宅していく。大抵が一瞬僕のほうを見て哀れみなのか、羨みなのか良くわからない視線を僕に向けて「お疲れ様です」と会釈をして帰っていく。
「で、特にないとはどういうことですか?」
「文字通りだよ。いや、正確には何をすればいいのかわからないと言ったほうがいいかな。生まれてこのかた、殆ど友人と遊んだなんて覚えが無いからね」
「なるほどそういうわけですか」
 考えてみれば至極当然で彼女は大学卒業してからこんな研究所に閉じこもりでおかしな研究をしているのだから友達などいないのだろう。納得。
「まぁ、半分くらい嘘だけどね」
「嘘をつかないでください」
「私の言っていることの半分は嘘だと思いたまえ。半分は本当だがね。どんなことをして時間を潰すのか、くらいの知識はあるが、実際に遊んだことが無いだけで。では、桐谷君、君の好きなゲームが私の個室にある。ひとまずはそれで対戦をするというのはどうだろうか?」
「いいですね。なにがあるかは知りませんが」
「よし、決まりだ。それでは行こうか」
 そう言うと彼女はすっと席を立ち、カツカツと音を立てて歩いていく。僕はすっかり冷めてしまったうどんの汁を少しすすってその器を洗い場に返しに行く。 ひとりだけおばさんが残っていて、その器を受け取るとあっという間に洗ってしまった。僕は器を返すことが遅くなったことに対して謝罪の意をこめて軽く頭を 下げて、教授の後を追う。彼女は入り口のところでこちらを見てたたずんでいた。



「……もう一度だ、もう一度」
「はいはい、わかりましたよ。これ何度目ですか?」
 もう三時間近くはこれの繰り返しである。教授も部屋にあったゲームはあのリモコンとヌンチャクを使って行うやつで、少なくともこの世の中では最新のゲー ム機だった。で、部屋にあったソフトで唯一対戦が出来るものが、大抵の人間が最終的に終点とかいうステージでのタイマン勝負をすることになる例のアクショ ンゲームであり、そんな一人では盛り上がりもクソもないゲームを一人でひたすらやっていた経験のある僕が初心者である彼女に負けるわけも無く、数えること もめんどくさいぐらいの連勝を重ねていた。さすがの彼女もゲームの才能は無いらしい。途中わざと負けてやろうかとも思ったがそんなことしたらすぐばれるだ ろうし止めておいた。
「あー! もういい! やめだ、やめ! 少しは手を抜くということは考えなかったのかね?」
 画面できのこの国のお姫様が場外に吹き飛ばされるのを見届けた彼女は床に寝転び、そう呻いた。そんな姿は普通の十七歳に見える。中身はそうではないのだが。
「まったく、君は初心者に対する心遣いってものは無いのかい?」
「教授相手に手を抜いたら怒るじゃないですか」
「当たり前だろう? 私が君に求めているのは全力を出して負けてくれる、ってことだよ」
「そんな無茶を言わないでください」
 そう言って僕も床に寝転ぶ。お互いに沈黙したまましばらくねっとりというかべっとりというかそんな停滞した空気を味わう。少し腰が痛くなったので僕は体を起こし、教授の個室を見回す。床はフローリング。高級そうな壁紙。壁には小窓。十二畳はあるだろうか。
そんな広い部屋に、何も無い。
洋服が。鏡台が。電話が。本棚が。箪笥が。靴下が。ゴミが。ホコリが。ない。ない。ない。唯一あるのがベッドとさっき運んできたテレビくらい。そして一番 無いのは。生活感。まるでこの部屋はただあるだけで誰にも使われていなかったのではないだろうか、と思うほど人の気配が感じられなかった。
そのことに感傷的になる義務があるわけでもないし、する必要もないのだが、それでもなんとなく寂しい気持ちになってしまう。
少なくとも彼女に僕以上に近しい存在はいないのだろう。確かに僕がここに来てから数年、仕事中は常に彼女に付き従ってきた。けれどそれは僕がここで一番若 かったというだけで、特別な理由があったわけではない。そんなただの仕事上の関係である僕くらいしか、この世界最後の日に一緒にいる人間がいないのだ。言 い訳に言わせてもらうとそんな日に彼女に付き合っている僕にも多少の友人くらいはいる。昨日会うのを済ませたのだ。彼らには恋人がいる。最後の役目はそち らに譲るべきだろう。
そんな様々な事情が絡み合ってこんな日に僕は彼女とここにいる。僕と一緒にいる彼女が気の毒だと思ったが、これも運命なのだろう。絶対。多分。恐らく。メイビー。
彼女のいるほうでモゾッと動く雰囲気がしたのでそちらのほうを見てみると寝息を立てて、安らかそうな顔を浮かべ夢の世界へ飛び立っているようだった。彼女 を持ち上げベッドの上に運ぶ。風邪を引いてしまったらいけない。上からそっと布団をかけると僕はベッドを背に床に腰掛ける。後ろから聞こえるのは彼女の寝 息だけである。無防備な彼女の姿に僕の中の男の部分が多少動かなかったわけではないが、そんなことはしない。僕は紳士なのだ。
ゆっくりと息を吐いて天井を見上げる。
本当に世界は終わるのだろうか。全く実感が無い。一応僕だって今まで生きてきたし、他の人だってこの世界で生きてきたわけだ。それが宇宙から降ってきた隕 石によって一瞬で終わるとは。なんというか。なんて言えばいいのか。上手く言葉にできない僕は現代っ子なのだろう。現代っ子は関係ない。
なんかだんだんめんどうになってきた。そもそもこんなこと考えるのは僕のキャラ設定からしてもおかしいだろう。僕はもっとテキトウに生きるのだ。もういいや。彼女に付き従って寝よう。どうせ最後なのだから夢の中まで付き従ってやろうじゃないか。
そんな僕の夢まで付き従うという馬鹿げた考えが上手くいかなかったことはすっかり深夜になってから僕を叩き起こした彼女によって明らかになった。



「全く、君はもう少し有意義な時間を過ごそうとは思わなかったのかね?」
「教授が余りにもキモチよさそうに眠っていたので起こすことに躊躇してしまったんですよ」
 彼女は僕が起こさなかったことをいつまでも根に持っている。そもそも寝てしまった彼女がいけないんじゃないだろうか? それなりに納得いかないものがあるが、世界最後の日だ。サービスで黙っておく。夜寝て朝起きるくらいの時間は寝ていたので頭の中はすっきりしている。
 現在の状況を簡単に説明しておくと空には空が広がっていて、あたりは住宅街特有の静けさで満ちている。端的に言ってしまえば外である。彼女が何かコンビニに買いに行こうと言い始めたのだ。寝ていても腹は減るもので、私はそれに賛同し財布を持って外に出た。
季節は秋と言っても夜中はそれなりに冷え込むものであり、比較的薄着であった僕は少し寒い思いをしている。それは彼女にとっても同じようで手を合わせて息を吹きかけてはこすり、吹きかけてはこすりを繰り返している。
「それにしても静かですね。本当に明日世界が終わるんでしょうかね?」
「あぁ、間違いないよ。なんせ私が予測したのだからね」
「あれ? そうだったんですか?」
 今まで聞いていなかったので多少驚いたのだが、彼女だったらそんなことをしてもおかしくないだろう。
「発表が遅くなったのは私が依頼された計算を半年くらい無視していたからなんだよ。余りにもうるさく催促するので、ちょっと時間が空いたときに片手間にやってみたらまさかこんな結果になってしまってね」
 聞いてもいないのに彼女はそう語りクククと笑った。
「しかし、もう少し大変なことになっていると思ったんですけど、思ったより静かですね。自暴自棄になって罪を犯す人間なんてのはいないんでしょうか?」
「発表された当時……と言っても一昨日だけどね、そのときは非常に沢山いたみたいだがね。日本の警察には正義感の強い連中がよっぽどいたらしい。さっさと 捕まえていったみたいだよ。今、檻の外にいるのは明日を静かに待つ善良な市民と明日に絶望して自殺した善良な死人たちくらいだよ」
「なるほど、そんなものでしょうね」
 そう言うとお互いに黙ったまま歩を進める。すぐにお目当てのあなたのコンビニ、ファミマが見えてきた。ただ、明かりはついていなかった。当然である。こんな時に開いているほうがおかしいのだ。
「桐谷君、どうする? 諦めて帰るかい?」
「ここまで来て帰りたくは無いですね。ちょっと待っててください。」
 すぐ目の前の駐車スペースを探すと、こんな状況にピッタリの縁石がある。ドアはガラス。硬い石。懸命な諸君ならわかるだろう。
 
 パリーン!

 それなりの重さのある縁石を手に取り、何の躊躇も無くドアに叩きつけると、何の面白みも無いありきたりな音を出してガラスが割れた。あぁ、お母さん僕は悪い子になってしまったようです。十七でもないし、盗んだバイクも無いけれど。
「足元に気をつけてくださいね」
 教授にそういうとドアの鍵を開け店内に忍び込む。僕は悪い子だが女性に気を使える程度には紳士であるのだ。かごを手に取り、目がついたものをテキトウに 突っ込んでいく。残念ながら弁当はなかったが、カップ麺はあるしレンジで温めるだけのおかずもある。いたれりつくせりだ。教授は僕の後ろについてきて、何 か欲しいものがあるとかごの中に突っ込んでいった。
 欲しかったものがあらかた揃うと、かごもなかなかの重量になっていた。僕はレジのほうに向かうと、後ろのポケットに入れておいた財布をそのまま放り投げておいておく。ガラス割っちゃったし。
 割ったガラスを踏みしめながら外に出ると相変わらずの星空が広がっていた。今まで気づかなかったが、月は見えない。新月なのだろうか。先ほど進んでいた 道をそのまま辿って戻っていく。やはり教授は息を吹きかけてはこすりを繰り返している。いい加減に気の毒になったので羽織っている上着を渡してやった。彼 女はすまないねと言うと、黙ったまま歩いている。僕もそれに習って黙ったまま歩く。時間は午前二時をまわっていた。静かだった。



「さて、桐谷君、とっておきのワインがあるんだ。取ってくるから君は最後の晩餐の用意をしておいてくれたまえ。そうは言っても二人しかいないのが滑稽といえば滑稽だがね」
 そういって彼女が何処かへ行ってしまったので僕は彼女の部屋で待ちぼうけである。彼女の部屋にテーブルがなかったので、食堂から手ごろなものを運んできた。一人ではなかなか大変だった。僕は偉い。
「いやいや遅くなってしまったね、すまない。なかなかお目当てのものが見つからなくてね。待ったかい?」
 部屋のドアを開けながらいきなり入ってきた教授がそう言った。僕は皮肉めいた声で
「えぇ、そりゃ待ちましたとも。待ちくたびれてお腹と背中がくっついちゃいますよ」
 そう返すと彼女はクククと笑いながらこう言った。
「重ね重ねお詫び申し上げるよ。それでは、始めようか」
 楽しい楽しい最後の晩餐の始まりである。早速彼女の持ってきたワインを口につける。旨い。
「美味しいですね」
 そのまま口に出した。
「あぁ、最高級品だ。値段を言ったら多分君はひっくり返って驚いてガタガタ震えることになると思うよ」
「それじゃ値段は聞かないことにしておきますよ」
 そういうと彼女はよろしいとでも言いたそうな笑みを浮かべて頷き、一気にグラスのワインを飲み干す。口の端からこぼれたそれが真っ赤な血のように見え る。彼女が未成年であるということはどうでもいい。どうせ最後の日である。多分最後の日でなくてもどうでもいい。どっちにしろ、どうでもいいのである。
「君がここに来たのはどれくらい前だったかな?」
 彼女がゆっくりと口を開いた。僕もそれに同じくらいゆっくり考えて口を開く。
「さぁ? 忘れましたよ。もしかしたら三ヶ月かもしれないし、一年かもしれない。ひょっとしたら十年かもしれないですよ?」
「ふふふ、相変わらずテキトウなことを言うね。さすがに十年前はないだろう」
「まぁ、時間なんて忘れるほどここでの時間が濃密だったってことですよ。教授との時間は楽しかったですよ。そうですね……ゲームよりは」
「それは光栄だ。私も君と過ごせて楽しかったよ。今までありがとう」
 素直な感謝の言葉というらしくない台詞をはいた彼女は、これまたらしくない表情をしながら窓の外を眺める。月明かりに照らし出される彼女はいつもの態度からは想像もつかないほどはかなげに見えた。
 何か話しても良いのだけれどなんとなくそんな気分になれない。それは彼女も同じなようでお互いに口を利かないまま時間が流れていく。部屋に流れるBGM はワインを注ぐ音、それを飲み干す音。ただそれだけの時間である。コンビニで買ってきたものも広げてはいるのだが、それらを開ける音ですらもたてることを 許されないような気がして手をつけなかった。
僕が朝の会話を思い出したのは、かなりの量があったワインの最後の一滴が彼女のグラスに吸い込まれていったときである。そういえば、忘れてた。
「教授。愛してますよ」
 特に躊躇することなく前置きも無く、言った。
「あぁ、やっと言ってくれたね。ずっと楽しみにしていたのだよ? それにしても君はもう少しロマンチックなシチュエーションを考えないものなのかい? まぁ、もうそのあたりはいいだろう。私も君を愛しているよ」
 そう言うと彼女は立ち上がりこちらに近づいてくる。そしてさもそれが当然のように僕に顔を近づけ。キスを、した。数瞬にも満たないそれは僕の目、鼻、そして脳に強烈な印象を残し、その場を去っていく。
「どうかね? これでも一応初めてなのだが」
「ワインの味しかしませんよ」
「私もだ」
 そう言うとお互いに顔を見合わせて笑った。
「さて、桐谷君、一つ提案があるのだが」
 ひとしきり笑った後、彼女が少し妖しい、魅力的な表情を浮かべながらこう言う。
「なんです?」
「先ほどのことで私たちは晴れて思いあう関係になったわけだが、どうだろう? そろそろ世界も滅ぶわけだし、腹上死でもしてみないかね?」
 なんという磁力を持つお誘いだろうか。僕だって戸籍謄本上男であるわけだし、据え膳食わぬはなんとやらなんて言葉もあるし、正直僕の男の部分が反応しないわけでもないしどうしよう混乱混乱混乱混乱の三乗の五倍。
 ただ、まあ。
「やめておきますよ、僕はこう見えて紳士なんです」
 そう、僕は紳士なのだ。未成年に手を出すなんてとんでもない。この言葉を聞くと彼女はクククと笑いながらこう答える。
「そうか、君は紳士だったのか。それなら仕方ないね、このまま世界とさよならすることにしよう。ほらそろそろ夜明けだよ?」
 そういえば言うのを忘れていた気がするが、世界に滅亡をプレゼントしに地球へやってくる隕石さんは日本時間で夜明け前に来るらしい。
 あれ、じゃあもう世界滅亡すんじゃん。ドカーン、私は死んだ、スイーツ(笑) みたいな? あーあ。さよなら世界。そうして僕は目を閉じた。



「さて、桐谷君。目を開けたまえ。夜明けだよ」
あれ? 言われたとおりに目を開けると暖かい。日の光が窓から差し込んでいる。
「……世界、滅んでませんね」
「まあね」
「なんでそんなにしてやったり顔なんですか?」
 彼女が顔に浮かべているのはつまりはつまりはドヤっ顔である。そうとは言わなかったが。
「知りたいかい?」
「そりゃそうでずね」
「そうかそうか、では教えてあげよう。ここからは私の独壇場だよ? つまりは私の大実験だったのだよ。心理学者としての、ね」
「大実験?」
 思わず聞いてしまった。
「あぁ、そうだ。つまりは君という人間の心理を最大限に分析し、予想し、分析し、予想し、分析し、予想し、ようやく今日の実験にたどり着いたわけだよ」
「僕の心理がどうのこうのはわかりましたけど目的は?」
「君に私に告白させるためだよ、桐谷君」
 いやー、開いた口がふさがらない。そんな僕の様子を見て彼女は特に了承を得る必要がないと思ったのか話を続ける。
「いやいや、君は天邪鬼だからね、なにかきっかけがないと私に告白してこないと思ってね、世界が滅亡するなんて嘘をついたのだよ。いやー、ろくに向こうが確認しないでくれて本当に助かったよ」
「……というか僕があなたを恋愛対象として見てないという可能性は考慮していなかったんですか?」
 僕のこの発言を聞いて彼女は顔に?マークを大量に貼り付けたような表情を浮かべこう返す。
「私が君を愛しているのだから君が私を愛しているのは当然のことだろう? 君が僕を愛していないなんてことあるわけないじゃないか」
 これも忘れてた。彼女は狂ってるんだ、そうだった。
「では、桐谷君ここから逃げる準備をしよう。さすがの私でもあんな嘘をついてしまっては世界中から追いかけられること間違いなしだ。きちんと守ってくれよ?」
 そう言う彼女の顔を見る。屈託の無い妖しい笑顔は僕をひきつけるには十分な威力を有していて。そう言われてみれば彼女が僕を愛しているのだから、僕は彼女を愛しているのかもしれない。多分、恐らく、絶対確実。
 これから厄介な目にあいそうだとか、下手したら死ぬんじゃないかとか、コンビニにおいてきた財布取りに行ったほうがいいんじゃないかとか、車とか用意したほうがいいんじゃないかとか。色々考えることはあるけど。
 とりあえず彼女にキスしてそれから考えようか。
TOP
Copyright (c) 2011 Hozumi.A All rights reserved.