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● わたしの世界に映るもの  ●

   秋の真夜中。

 わたしは見ています。暗い夜道を、です。見る、というより眺めていると、言ったほうが正しいかもしれませんが。とにかくわたしはここにいて、この道を眺 めています。昼間とか夕方にはそれなりに車や人が通っている姿を見られるのですが、次の日付に変わりますと、ときどきタクシーやよっぱらっているサラリー マンのお父さんがへべれけで歩いているのがうつるだけです。おうちに帰っても家族からじゃけんに扱われるのかな? と思ってそっとお疲れ様と思っておきま す。実際には声にしませんよ。だってそんなのおどろかれるだけなんてわかっていますから。
 あっ! もうそろそろ一時だ。緊張するなぁ……。えっ、なにが緊張するかだって? んー……ぜったい秘密ですよ?
 わたし、恋をしているのです。
 なんですか、その顔は。別にいいでしょう、恋するかしないかなんて個人の自由なのですから。と、とにかくすてきな人なのです。聞いたことないですけど、 声だってきっとすてきに決まっています。性格だってきっと優しくて、でも時に厳しくて、でもやっぱりわたしが傷ついているときはそばにいてくれる優しさを 持ち合わせているに決まっています。とにかくとにかくすてきな人なのですよ!
 ……ごめんなさい、少し熱くなりすぎました。で、でもきっと女の子なら好きな人の話をする時こうなりますよ! なりますよね……?
 なんてわたしが暴走しているうちに彼がやってきました。ほら! あの白い車です! 彼の車はゆっくりとスピードを落とすと、まがり角の近くでその動きを 止めます。本当はそんなところに車を止めてはいけないのですが、夜中は車も来ないのでいいのです。彼が止まった車から降りてきて歩道と車道のあいだの段差 に腰をかけます。そして、ふところからタバコを取りだしてとってもおいしそうにふかします。タバコには多分「GARAM」と書いてあります。黒いパッケー ジです。文字は少し小さくて見えづらい。でも、彼以外に吸っている人を見ないことから考えると、めずらしいタバコなのかマイナーなタバコなのかであるよう です。そういうふうに人と違うものを選んでいるところもすてきだと思います。
 さらにさらに彼は顔もかっこいいのです。芸能人で例えるなら……阿部寛かな? あんまり芸能人って知らないのですけど。身長も多分180センチくらいは あるし、その上スリムですごい鍛えているみたいなのです。かっこいいな。ほんとかっこいい。服装もモノトーンでで、すごいシックなの。
 そんなことをしているうちに彼は一本目のタバコを吸い終えると二本目を取り出します。彼はいつもここであのタバコを二本だけ吸ってまた車に乗ってどこか へ向かうのです。その時間はだいたい三十分くらい。今のわたしはこの三十分のためにここに居ると言っても、言い過ぎではありません。その三十分彼を見続け ます。幸せです。声をかけられなくても。彼がわたしに気づいていなくても。わたしは彼を見ているだけで十分です。
 いつの間にか彼は二本目のタバコを灰皿に押しつけています。あっという間に時間が過ぎ去っていたようです。彼はまた車に乗り込むと遠くへ行ってしまいました。残念です。
 でも彼にも生活があるのです。仕方ありません。でも、どんなお仕事しているのだろう。どんな場所に住んでいるのだろう。恋人は、いるのかな。とってもとっても気になります。わたしには知る方法はないのですがそれでも。
 そうやってもんもんしているともう夜明けです。彼のことを考えている時間は長くもあり、短くもあります。今日も彼のことを思ってがんばります。

   ある冬の昼間。

 もうすっかり季節は冬のようです。雪がふっています。と言ってもそれほど強くふっているというわけではありません。歩道に薄く雪の幕を作っている程度で す。雪がふっているだけあってやはり寒いらしく、道を行く人はみぶるいしたり、肩を縮ませて歩いたりしています。マフラーや手袋をしている人も昨日より多 いように思えます。
 さて、彼の話です。あれからどうなったかというと、特に進展もなし、といったところでしょうか。彼が二本タバコを吸うのをわたしが見ている、という関係 性はほとんど変わりません。正直なところわたしはこれ以上望めませんし、望むつもりもありません。今のままで幸せなのです。
 ただ一つ変わったといえるところは、彼が毎日はタバコを吸わなくなったということです。吸わなくなったというよりも毎日車を止めなくなったというほうが 正確かもしれません。お仕事が忙しくなったのか、勤務する時間が変わったのかわかりませんが、二日か三日に一度、一時間くらい帰りが遅くなるようなので す。そのときは車をあの曲がり角で止めずにそのまま走り抜けてしまいます。ナンバーがチラリと見えるので間違いないです。
 彼を想っているわたしとしてはとても残念なのですが、仕方ありません。彼だって早く眠りたいのでしょう。わたしは応援することしか出来ませんが、精一杯応援したいと思います。
 少し雪が強くなってきました。前が見づらくなっているみたいです。そんな中小さな子供たちが一所懸命、雪だるまを作っています。カップルたちが一つの傘 に身をよせあい笑っています。少し険しい顔をしたサラリーマンが急ぎ足で横断歩道を渡っています。赤いワゴン車がゆっくりと進んでいます。雪が少し、また 少しとふり積もっていきます。ゆっくりと白い色に染めていきます。今日もわたしが見える世界は平和です。

   その日の真夜中。午前四時。

 わたしは見てしまいました。暗い夜道の中を、です。今回ばかりは見てしまったのです。わたしはわたしを、役割を、存在を、事実を恨んだのは、初めてかもしれません。
 もう少し焦ったほうがいいのかもしれませんが、焦ってもどうしようもありません。だって、わたしにできることは見ることしか出来ないのですから。
 そんなわたしに見えているもの。それは死体。交通事故。
 轢いたのは彼。わたしの、わたしの好きな人。
 いつもより帰りが遅かった彼は急いでいたみたいです。横断歩道に酔っ払いながら入ってきた元人間今死体には気づかなかったみたい。
 考えていたよりあっさりとほうぶつせんを描いて人間は跳ぶみたいです。ひとつ勉強になりました。それに気づいて車から降りた彼は恐ろしいほど狼狽していました。それは幻滅するほどに。
 すぐに現実に戻った彼はまたすぐに車に乗り込み、走り去っていきました。とても早く。あっという間に見えなくなりました。
 なんと言うんでしょうか、イメージとの差を見せ付けられた、とでも言いましょうか。
 彼はとても焦っていました。彼はすぐに逃げました。病院に電話しませんでした。彼はわたしに気づいていませんでした。
 気づいていたら、逃げたりはしないから。
 やっぱり、ダメですね。
 わたしは恋なんてするべきではありませんでした。
 大人しく、映る世界だけを映し続けていればよかったのです。
 そうすれば、つらい思いなんてしなくてすむから。
 このままだと、わたしは彼をあやめてしまいます。
 そうなるまえに。
 わたしはわたしのなかからけそうとおもいます。
 さようなら。
 だいすきでした。
 きっとつたわらないけど。

   ある春の日。

 風が吹いているようでした。グレーの花びらが視界を埋めます。やる気に満ちた青年がカバンを振り回し横切って行きます。子供とその母親が笑顔で手を繋ぎ、横断歩道を渡ります。その横断歩道のところにはいくつかの花、お酒が置いてあります。
 わたしはこの道を見ています。眺めているといってもいいかもしれませんが、わたしの役割からすると一番いい言い方は注視する、なのかもしれません。
 わたしはこれからもこの道を見続けるのでしょう。わたしがおかしくなってしまわなければ。
 今日も沢山の人がこの道を歩いて行きます。ひとりの男性がタバコを取り出して火をつけました。チラッと黒いパッケージが覗きます。歩きタバコダメなのに。多分すぐお巡りさんがくるんじゃないかな。わたしが見ているし。
 なんて考えていたら、ほら近くにいたお巡りさんが彼を見かけると交番のほうに連れて行くみたいです。
 彼は大人しく付き従って行きます。
 今日も世界は平和です。
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